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2014年5月10日 (土)

ごめんね、母ちゃん

今朝、おふくろが死んだ。田舎の兄が電話で知らせてくれた。享年87歳。

平均寿命よりは長生きしたといっても、親父が死ぬ前からだからもうかれこれ20年近く寝たままだった。60歳前後から大病を繰り返し、つらい日々だったに違いない。

最初の大病は57歳のときのクモ膜下出血。田舎の唯一の脳外科医院に運びこまれ、一命をとりとめた。手術後、頭に水がたまり、脳を圧迫するとかで、狂人のごとく暴れまわる症状になる。ベッドに縛りつけられた姿を見て、悲しくなったが、1週間ほどで見違えるように快復し、1カ月ほどで全快した。その次が62歳のときの直腸がん。当時、弟が新宿の病院で外科医として勤務するようになっていたので、弟が手術したが、かなり進行していたので人工肛門をつけざるを得なかった。それでも、快復後は人工肛門にも慣れたようで、普通の人のように暮らしていた。

その次が64歳のときの脳梗塞。右半身不随になり、言葉も失った。同居する兄や兄嫁の介護のもと、週に何回だかのデイケアサービスに連れだしてもらう以外は、ベッドの上の生活。食事もベッドの上で、ベッドのすぐ脇に専用のトイレも設けられていた。

それでも、たまに田舎に帰るといつもニコニコしていた。話しかけると、笑顔で「あれぇ」「そうなんだぁ」と言っているような表情をした。だけど、話が通じているのか、そもそも小生のことをわかっているのか、わからなかった。帰郷して旧友と深酒し、朝目が覚めたら、おふくろのベッドでおふくろと一緒に寝ていたこともあった。

弟が田舎の病院に転職できたのはおふくろのおかげだ。おふくろがクモ膜下出血を治療してもらった脳外科医院の先生に会うたびに、弟のことをよろしくと頼んでいたら、本当に就職を世話してくれた。今や、弟はその病院の院長だ。田舎の親戚中が病気になると弟を頼っている。

おふくろが2回目の脳疾患をわずらい、病状が悪化したころ、その弟の病院が隣に特別養護老人ホームを新設したので、おふくろはそちらで世話してもらうことになった。

一度、様子を見にいったら、介護士に誘われて他の入居者たちと一緒に車いすで体操したりしていて、楽しそうだった。やはりニコニコと明るい表情をしていた。

その後、3回目、4回目と脳疾患を繰り返し、容態が一段と悪化したので、3年ほど前に隣の病院のほうに入院。そのときから、笑顔が消えた。起きているときも、ただ、うつろな目をしていて、意思表示は一切なく、もちろんコミュニケーションらしきものは一切とれない状態となった。一昨年の秋に見舞ったときも、ただ、薄目を開けてじっとしているだけだった。

昨年暮れに、危篤だという連絡が来た。だけど持ち直して正月を迎えた。先の連休の前にも再び危篤の連絡が来た。それでも、きょうまで命の火を燃やし続けた。兄によると、呼吸はもはや虫の息なのだが、心臓が強いそうだ。そんなおふくろもついに生涯の幕を閉じた。

おふくろと親父は見合い結婚。酒乱の親父の暴力によく耐えてきたと思う。祖母は、祖父が40代で死んだあと、5人の子供を女手一つで育てたので、きつい性格の人だったようだ。親父はその長男で祖父が死んだときは15歳。今でいう中卒で働きはじめ、一家を支えた。小生が小学4年生のときに祖母が死去。それ以降、おふくろが目に見えて明るくなった。親戚が集まったとき、勧められて、それまで聴いたことのなかった歌まで披露するようになったので、子供心に、母親にはこんな一面があったのかと驚いたことを覚えている。町の婦人会で料理を習い、次々と新しい料理を食べさせてくれた。

きょう、帰宅してから、昔の手紙類をしまってある段ボール箱を開けて、おふくろの手紙を読み返してみた。学生時代は自分の間借りの部屋には電話などなく、こちらから掛けるときは公衆電話、家族や友人らからの連絡は大家に電話して呼び出してもらう方式だったので、めんどうな電話に頼らず葉書や手紙でやり取りすることが多かった。学校の友人を飲みに誘うのも葉書だった。勢い、学生時代の手紙類が段ボール箱いっぱいにたまる。それを何年も開けることなくしまってある。

その中からおふくろの手紙を引っ張り出し、久々に読んでみた。誤字脱字だらけだが、吉田松陰の言う「親想う心に勝る親心」が身に染みる。小生は大学を2年も留年したので、その都度心配をかけ、辛い思いをさせた。おふくろは手紙で、小生の短所は、ズボラなところだと嘆いている。そこを治すようにと説いている。そして、身体のことを心配している。リンゴとナシを送ったから、リンゴから食べるように、なぜならリンゴは日が経つとスカスカになるからと注意している。宅浪していた弟が予備校の夏季講習を受けるために上京するから、泊めてやってくれというのもある。

決して楽ではない暮らしの中から、6年間も仕送りしてくれた。そのために、朝から晩まで親父と一緒に働いていた。なのに、小生は親の心配もよそ目に飲んだくれていた。たまに田舎に帰ると、えらそうな口をきいて、親をケムにまいていた。親孝行らしいことは一つもしていない。手紙を読んでいて、申し訳なさが改めて募った。

親父の跡を継いで会社を何倍も大きくした兄と、病院の院長になった弟に比べて、本当に木偶の坊だ。だけど、兄と弟が立派な人間に成長したので、おふくろにすれば十分報われた人生だったともいえるだろう。兄と弟がいてくれたおかげで、こちらは介護もせずに安心しておれた。感謝しないといけない。

おふくろの冥福を祈る。

11日が通夜で12日が葬式。12日は、来月4日に予定している前立腺がん手術に備え、自己血を貯血するための採血をする日だったが、A総合病院の主治医に電話して、13日にずらしてもらった。15日には大腸検査の予約も入れてある。来週は、あわただしい1週間となりそうだ。

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