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2014年12月27日 (土)

欽ちゃん

日経新聞「私の履歴書」が久々に楽しめる。今月の筆者が萩本欽一だからだ。

子供の頃から家庭的に恵まれなかった人が将来に大きな夢を描いて努力し、報われていく話というものはやっぱり胸に迫るものがある。加えて、コント55号や欽ちゃんはテレビに出始めたころを良く知っているだけに、同時代感というか、懐かしさもある。

今回、意外というか、自分が知らなかったことで、欽ちゃんの奥さんのことを初めて知って、欽ちゃんらしいなと心温まる思いをした。

同連載の12月12日付(12回目)によると、欽ちゃんが初めて異性として意識した女性に会ったのは18歳の時。浅草のストリップ劇場「フランス座」を経て、経営者が同じ「東洋劇場」のコメディアンとして修業していた頃だ。先輩コメディアンの東八郎に言われて、初めてのドサ回り(地方巡業)に旅立つ際に、仲間たちと壮行会を開いてくれた踊り子の澄子さんがその女性だ。劇場のトップダンサーで、欽ちゃんのような前座を務めるコメディアンの見習いにとっては高嶺の花。その憧れのお姉さんが「(旅先で)お金に困ったら、これを売りな」と首にかけたネックレスをピッとはずして渡してくれた。欽ちゃんにとっては3つ上のお姉さんのような存在だったようだ。

12月20日付(20回目)によると、その後、欽ちゃんが劇場をやめて自分の劇団を持つと、やはり別の劇場に移籍していたこのお姉さんが時々欽ちゃんの家に泊まりに来るようになる。いわばお姉さんが彼女になったということか。そして、いつも「欽坊は絶対に有名になると思うんだ」と励ましてくれた。ただ、欽ちゃんが「一緒になりたい」と言っても、「もっと若くてきれいな娘と一緒になりなさい」と取り合ってくれなかったそうだ。

お父さんは新潟・長岡の新聞記者だったが早逝したことから、一家の生活を支えるために上京して踊り子に。祖先は長岡藩の藩士だったらしく、欽ちゃんがしつこく結婚を迫ると、「無礼者っ。所帯を持とうなんて頭が高い」と怒ったという。

坂上二郎とのコンビによるコント55号としてテレビに出るようになり、瞬く間に人気者になると、澄子さんは欽ちゃんの前から姿を消した。

ここまで読んで、「う~ん、いい話だなぁ」と思っていた。そしたら、きのう、つまり12月26日付(26回目)で、今の奥さんが澄子さんだと明かしている。売れっ子になってから、八方手をつくして探したのだそうだ。再会しても、澄子さんは結婚を拒み続けたそうだが、何とか口説き落としたという。欽ちゃんがずっと澄子さんを妻にしたいと思い続けたのは「恩ある人だからだけじゃない。澄子さんを思うと心が温かくなるんだ」。

「よっ! 欽ちゃん」と新聞を読みながら掛け声をかけたくなったぜよ。

これがその日の「私の履歴書」↓

Photo

ときに、きょう(27回目)の「私の履歴書」には添え物の写真がない↓。空白!!!

Photo_2

ほかの新聞もそうかも知れんが、この日経の電子版はしょっちゅう空白部分があるんだ。

東京ニュース通信社が配信しているラテ欄の番組紹介記事の写真は、著作権の関係なのかよく知らないが常に空白だから、おそらくこの回も同通信社の写真を使ったのじゃないかな。

まだ、ラテ欄の写真くらいはどうってことないが、1㌻広告丸ごと空白ってのもけっこうある。こういうのは、紙媒体用の広告料金だけもらって電子版用の広告料金をもらえなかったケースなんだろうなぁ。まっ、広告もどうでもいいのだが、問題は記事のあるべきスペースが空白の場合だ。

これも3日に1回くらいはある。そこにどんな記事があったのか、会社に行ってから紙媒体を改めてチェックすることになるが、「ああ、これね」とミスった部分が判明するときもあるし、「この記事のどこがいけないの?」と思うこともある。

いずれにしろ、記事が削除されているときにはなんだか損した気分になる。紙媒体よりも情報量が落ちているのだから、そのぶん、金を返せと言いたくなる。1カ月4200円だから、空白記事1回につき10円くらい返せよってんだ。

…話が変な方向に行ってしまったので、この辺で。

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