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2015年1月 3日 (土)

王貞治さんで年明け

萩本欽一で2014年を締めくくったと思ったら、2015年の幕開けを王貞治で飾る。日経もよく考えているなぁ。今月も、毎朝、新聞を開くのが楽しみだぞ。

日経新聞の人気連載企画「私の履歴書」のことである。今月の執筆者が努力の人、王貞治なんである。

1月1日付(1回目)の主見出しは「頑固で不器用 野球人生」。自らの性格を「頑固で不器用」と表現しているのだ。一本足打法そのものが「不器用さの産物」であり、1977年に通算本塁打数世界新を記録した際に、毎朝自宅に押し寄せる子供たちに小一時間をかけてサインをし続けたのも、どんな場合にも手を抜けない「かたくなな」性格からだと書いている。

そして副題は「『万事控えめ』父の教えを胸に」。「中国の田舎から出てきて、日本で定職にありついた父、仕福」の教えが「万事控えめに」だったという。とかく差別の対象となりがちな中国出身ということで、「波風を立てないように生きていた」父親のそれが処世訓だったのだ。「日本に生かされている」というのも父親の口癖だったという。

休刊日をはさんできょう1月3日付が2回目↓。

Photo

両親のことが詳しく綴られている。中国の山村で生まれた父親は20歳を過ぎた頃、東京に出稼ぎにきた。1923年の関東大震災では、朝鮮出身者が迫害されたことが知られているが、中国人も同様だったようで、震災を機にいったん帰国。それでも中国ではどうにも食べていけず、再度、上京し、墨田区の下町に中華料理店「五十番」を開店した。

母親の登美は富山県の出身で、祖父は輪島塗など漆塗りの仕上げをする職人だったという。東京に奉公に出て、仕福と知り合った。

父親は「近所の人も感心するくらい働いて」店を拡張。町内でもいち早くテレビを買い、当時人気だったプロレス観戦などを近所の人たちに開放するなど、近所づきあいに腐心。そのおかげか、王さん自身は「中国人の子どもといっていじめられたことは一度もなかった」という。

この親ありてこの子あり、である。

意外に思ったのは体格(いつぐらいの時点か不明だが…)が身長177㌢、79㌔で長嶋茂雄よりもひと回り小さいということだ。逆に長嶋よりも大きいか、少なくとも同程度だと思い込んでいた。大選手だけに、大きな人に見えていたのかも。

王さんが一本足打法を確立してスター選手になるまでの伝記は少年の頃、主に漫画で読んだし、その後も色んなところで紹介されているので、ある程度知ってはいる。だが、近年の日本ではなかなか見かけることができなくなった本物の男、最後のサムライだけに、その人生観というものがどのようにできあがったのか、本人から明かされることに大いに興味をそそられる。

またこのひと月、通勤時間が待ち遠しくなりそうだ。

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