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2015年10月12日 (月)

ノーベル賞に思う

今年のノーベル物理学賞に梶田隆章東大教授が選ばれたとの報を聞いて思い出したのは、戸塚洋二先生に宇宙線観測施設スーパーカミオカンデの内部を案内してもらったときのことだ。

戸塚先生は、梶田教授が受賞決定後の記者会見でその名に言及し、新聞各紙の解説にも欠かさず触れられていたように、素粒子ニュートリノ研究では梶田教授の先輩にあたり、本来なら、今回のノーベル物理学賞を受賞していたはずの人である。

小生が戸塚先生にお会いしたのは2002年8月。スーパーカミオカンデのある岐阜県神岡町(現飛騨市)でのことだった。新聞で「科学技術立国」キャンペーンを展開していて、国の大型科学技術プロジェクトの現状をレポートする連載の一環としてだった。前年の11月に、スーパーカミオカンデの壁一面に1万個以上も張り付けられた「光電子増倍管」というハロゲンランプのお化けみたいな形をした巨大な光センサーの大部分が連続して爆発するという事故があり、同実験施設は修復工事をしているところだった。

戸塚先生にアポを取れたのは良かったが、ローカル鉄道だと時間がめちゃかかるし、現地で移動しにくいため、本当は会社の規定に違反するのだが、マイカーを運転して行った。中古のアコードに乗り、ウロ覚えだが、長野県の戸倉上山田温泉辺りを通って、岐阜に抜けて行った気がする。

神岡町に着くと、まだアポの時間まで間があったので、道の駅で一服。その近くに石のプレートが建っているので、何だろうと見てみると、「極大は極微を住まわせるが、極微は極大を支配する  戸塚洋二」と刻まれている。さすが、この町では有名人なんだなと納得。

その足で、「東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設」へ。同研究所長の肩書きを持つ戸塚先生が直接、出迎えてくれた。スーパーカミオカンデで収集するデータをモニター、分析する施設なんだが、スーパーカミオカンデそのものが事故で休止しているうえ、夏休みということで学生もほとんどいなかった。

施設長の部屋かそれとも所長の部屋があったのか忘れたが、1対1でじっくりと話を聞いた。これもウロ覚えだが、ニュートリノに質量があることを発表した際、観客が総立ちとなって万雷の拍手を送ったという話題のシーンで、発表者は梶田教授ともう一人、鈴木厚人現岩手県立大学長だったと聞いたように思う。当時の研究のリーダーだった戸塚先生は2人が発表する様子を関係席だか観客席だったかで見守っていたというように聞いた印象だ。ただし、勝手にそう思い込んでいるだけで、記憶違いかもしれない。

科学にも宇宙にもましてや素粒子にもまったく疎い小生の質問に、戸塚先生はひと言ひと言言葉を選ぶように、わかりやすくていねいに答えてくれて、ほっとしたのを覚えている。一夜漬けで勉強していった甲斐があったのか、「飯田さんのように、よく勉強している記者さんばっかりだと助かるのですがね」と、おだててもくれた。道の駅のプレートの話をすると、前身のカミオカンデの時代から20年以上にわたり1年の半分を神岡で過ごす生活を続けているので、町の人たちの同級会などの集まりに講演で呼ばれることが多く、プレートもそういう機会に頼まれて揮毫したものだと教えてくれた。

ニュートリノという最小の物質と広大な宇宙の関係を言い表した戸塚先生の言葉なのだ。

インタビューを終えると、スーパーカミオカンデに案内してくれた。小生のクルマは研究施設に置いて、戸塚先生が運転するクルマで向かう。車中、科学技術プロジェクトの是非論に話が及び、先生は「私たちの研究は、確かに経済にすぐに役立つものではないが、エレクトロニクスの研究と同じで、50年もすればきっと世界の発展に貢献する技術になると確信しています」と力を込めたのを覚えている。

スーパーカミオカンデは鉱山の跡に造られたので、入り口はまさに坑道に入るような感じだった。直径40m、深さも40m強という円筒状の穴が出現。本来は巨大な魔法瓶のごとく純水で満たされているのだが、今は工事中で水を抜いているので、下まで案内しますという。こりゃ、シャッターチャンスと喜び、備え付けのヘルメットと軍手を借りて簡易エレベーターで魔法瓶の底へ。いちばん下にはまだ水が残っていて、そこにイカダのように浮かべた足場に立って上を眺めると、その巨大さが実感できる。戸塚先生がこまごまと説明してくれたが、もともと下手なカメラで少しでも新聞で使えそうな絵を撮ろうとシャッターを押すのに必死で、あんまり理解できなかった。「こんなところまで見学した記者はあなただけですよ」と教えてくれた。修理中というタイミング故の幸運だった。

見学を終えて、スーパーカミオカンデの外に出ると、戸塚先生は「私も(所長として)ここへ来るのは、きょうが最後になります」と明かした。翌月の9月からつくばにある高エネルギー加速器研究所(現高エネルギー加速器研究機構)の所長に栄転することが内定していたのだった。神岡は先生にとって「第二の故郷」だけに、栄転のためとはいえ、少し淋しげにみえた。

クルマを取りにいったん研究施設に戻り、インタビューのお礼をしてから一人で神岡町役場に行った。神岡町長にもインタビューするためだ。役場に入ると、入り口にで~んと光電子増倍管が1個置かれていて、町を挙げてスーパーカミオカンデを応援していることがよくわかった。

民宿風の旅館の女将さんたちも、スーパーカミオカンデの取材で来たというと、「毎年、ノーベル賞発表の季節が近づくと、町中そわそわするんですよ」と話していた。

スーパーカミオカンデの前身のカミオカンデを神岡町に創設した小柴昌俊東大特別栄誉教授のノーベル物理学賞受賞が決まったのは、まさにその年の10月のことだった。小柴先生の直弟子が戸塚先生で、その後輩が梶田教授だ。

その後、1年ほどして、小柴先生にインタビューする用件ができて東京・本郷にある東大宇宙線研究所を訪ねたとき、偶然、帰り際に戸塚先生にお会いした。「昨年の夏に…」と再会の挨拶をすると、すぐに思い出してくれて、小生が書いた記事のお礼まで言ってくれた。

直腸がんを患い、逝去されたのを知ったのはそれから5年後の2008年のことだった。直前に月刊「文藝春秋」に登場するなど、病気を公表し、最期まで気骨のあるところをみせていた。

享年66歳。改めて、ご冥福をお祈りします。

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