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2017年2月

2017年2月27日 (月)

風邪ひくも一日で快復

通院日で有休(^^)/

日曜日のきのう、いつものようにウォーキングして、たっぷり汗をかいたままその足で買い物に行ったのが良くなかった。ショッピングセンターの家電量販店、スーパー、ドラッグストアと3軒回ったうち、最後のドラッグストアでレジの順番を待っているときに急に倦怠感が襲ってきて、もう(自宅まで)歩きたくねぇ~と思った。歩くのが嫌になるほど疲れるなんて、ここんとこ何年も経験していなかった感覚だ。

家に帰って、早速風呂に入って身体を温めたのだが、すっきりしない。夕方になるとどんどん寒気が強くなった。夕飯のカレーライスも食欲が湧かず大半を残すありさま。どうも、汗をかいたあとの下着を替えずに買い物をしていたので、風邪をひいたようだ。咳も鼻づまりもないが、とにかく寒気が尋常ではない。

「風邪かな? っと思ったらルル3錠」というCMコピーを座右の銘にしているので、カミさんが家に常備しているパブロンゴールドを飲み、夜8時前に湯たんぽ2つを抱えて寝ることにした。この時点で、熱は37.5度だった。ちょうど、明けて27日の月曜日は3カ月に1度の通院日なので、ついでにインフルエンザの検査もしてもらおうと決めた。会社の同僚らに迷惑をかけたくないので、念のためだ。

夜中の12時と朝方の3時15分に目が覚めてトイレに行ったものの、朝の5時に起床するまで、たっぷり9時間は睡眠した。いつもより1時間早く起きたのは、病院に8時頃に行かなきゃいけないためだ。

たっぷり寝たのが良かったのだろう。起きてみると、熱は35.6度まで下がり、寒気もしない。すっかり治った感じだ。

で、8時に病院に到着。採血を済ませて、8時半に受付に診察票を提出。このときに、「インフルエンザの検査もお願いしたい」と言うと、看護師が、体温計を渡してくれた。この時点で35.8度。起床時より若干高いが平熱だ。

んで、9時に診察開始。おらは2人目。A医師とご対面。「(看護師から)話は聞きましたが、予防接種をしていなくて熱がこの程度なら検査をする必要はないでしょう」と、先生はつれない返事。インフルエンザではないという診断だ。午後あたりにぶり返すようなら、また来てくれという。

一方、血液検査のほうはほぼ変わらず。糖尿病の気配をみるヘモグロビンA1cは6.4%で、前回の6.3%より悪化したものの危険区域の6.5%は下回っている。

クレアチニンなどそのほかの危険信号の状況は、詳しく聞かなかった。風邪の症状を説明するのに時間を要したため、あとでプリントアウトしてもらった検査結果を見れば良いと思ったからだ。ところが、その検査結果の紙をもらい忘れたことに後になって気づいた。なんてこった。

血圧がいぜん高いことから血圧を下げる薬の量を増やすことになり、診察代は2,400円なのに薬代は17,350円もした。薬漬けの日々が続く(涙)。

病院の隣の薬局は、スマホ用のお薬手帳アプリを配信しており、薬を買うと、すぐにその内容が反映される。

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この画面には3種類の薬しか見えないが、全部で8種類もある。

10時過ぎに薬局を出て、帰宅。

ひと駅前で降りて、いつもの川原をウォーキング。

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オオイヌノフグリが名前に似合わないかわいらしい姿を見せ始めた。

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鯉も産卵の準備をしているようだ。

春がそこまで来ている。

健康っていいなぁ、と病み上がりにつくづく感じた。

2017年2月25日 (土)

巻き爪対策グッズ

アマゾンで足用の爪切りを買った。

外装

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内装

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ヤスリ付き。

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1,899円。

上は8,000円台まであり、爪切りは〝切れ味〟が肝心だからと、悩んだのだが、結局、懐具合の結果でこれを選んだ。

使い勝手はまずまず。足の親指の巻き爪の巻き込んだ部分も楽に切れる。もっと早く使っていればよかった。

昨年暮れに自宅近くの皮膚科クリニックで治療してもらった左足親指の巻き爪は、苦節2カ月弱にしてようやく痛みが退いてきた。

皮膚科の医者は、「これは巻いている部分を切るしかないんです」と言って、爪の左側3分の1ほどをタテに切り落としちゃった。すると、爪の下にあった肉が腫れてきて、残った爪の上にまでのさばりだした。巻き爪ならぬ巻き肉である。

以来、その親指に赤チン(マーキュロクロム液)を塗り、靴のショックを和らげるために脱脂綿で保護し、包帯を巻くという作業が毎朝の出勤前の日課になった。折からのダイエットもあり、親指が痛かろうととにかくウォーキングは続けにゃいかんという強~い意志のために、何ら迷いはなかった。

んで、そんな自分の傷の手当というここ久しくなかった作業を通じて、世の中の進歩というものも実感した。

包帯のことである。

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右の商品は、指をグルッと巻いたあと、そのままハサミで切ってから、包帯と包帯をテープのようにくっつけられる。左の商品も同じように包帯の上に包帯の端をくっつけられるうえに、ハサミを使わなくても手でちょん切れるという優れモノ。実に便利である。

そう思ってまとめ買いをしたので、すでに巻き爪の痛みも退いてきた今は、ちょっと無駄になったかもという気も…。

さて、本日は市営スポーツ施設まで往復12,675歩、8,872m。水泳25m×10本、水中歩行20周。

2017年2月22日 (水)

たまにゃあ歌謡ショーも良いもんだべ

仕事のつき合いで、必ず観に行くことを条件に明治座のチケットを2枚もらった。演し物はこれ↓
 
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(チラシ)
テレビは朝のNHKニュース以外に見ないので、恥ずかしながら、「福田こうへい」という演歌歌手を知らない。だけど、仕事のつき合いだし、午後から会社をサボれるので、行かない手はない。
 
というわけで、結婚してからこの方、演歌を聴いているところを見たことがないうちのカミさんを一応誘ってみると、意外や二つ返事で「行く」という。よほど暇なのだろう。
 
で、行ってきた。
 
16:30に第1部の舞台「母ちゃんの浜唄」が開幕。
 
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(明治座のホームページより)
 
人情喜劇なんだけど、「昭和30年代」「東京オリンピック目前の高度成長期」「岩手の漁村から集団就職で上京」という映画「三丁目の夕日」にも似たありがちなテーマ設定がいけなかった。
 
開演後30分経過したあたりでは、腕時計をみながら「あと1時間もあるのか、退屈だなぁ」と思っていたにもかかわらず、同45分あたりでうかつにも涙をこぼしてしまい、同60分あたりになると込み上げてくるものを止められなくなり、同75分あたりからは号泣してしまった。周囲に覚られないように照明の暗いうちに涙をふき取り、濡れたハンカチを見ながら、自らの単純すぎる感性にそっと恥じ入る始末。
 
懐かしのNHK朝ドラのおしん役で有名な小林綾子ら脇を固める役者陣が達者なうえ、主役の福田こうへいも、地の岩手弁で自然な演技ができている。
 
途中、30分の休憩をはさんで、18:30第2部のコンサートが開幕。
 
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(明治座のホームページより)
いや~歌ったり90分間。持ち歌をはじめ、民謡やスタンダード歌謡など数えていなかったが10曲は優に超えた。ちょっと音が割れるほどデカすぎて、とくに高音がキンキン響いて耳ざわりで、このPAは何とかならないのかいとも思ったが、次第に慣れてしまった。
 
普通のバックバンドに加え、若手邦楽家も従えて、司会者との軽妙洒脱なしゃべくりを交わしながらたっぷり熱演。バックの若手邦楽家は全日本コンテスト1位を誇る名手揃いらしく、尺八や津軽三味線のソロ演奏も楽しめたし、名曲「無法松の一生」では福田こうへい自身が歌に加えて和太鼓の乱れ打ちを披露するひと幕も。
 
知らなかったが、この人、昨年末のNHK紅白歌合戦に出演するなど、かなりの人気者らしい。
 
岩手弁混じりのしゃべくりもうまくて驚いた。
 
父親は民謡歌手だそうで、その点、おらの好きな吉幾三と共通する。司会者との掛け合いによると、デビュー作の「南部蝉しぐれ」は本来、父親のために作られたのだそうだ。その父親が逝去してしまったので、父親の跡を継いで民謡歌手となった福田こうへいが歌うことになった。CDを自費制作したところ地元で2万枚も売れたので、レコード会社が目をつけ演歌歌手としてデビューするよう勧められた。しかし、民謡歌手として日本一になるまで待ってほしいといったん断る。その2年後にコンテストで見事日本一となり、演歌歌手デビューを果たしたのだそうだ。
 
やはり民謡出身の歌手は上手い。素直というかクセのない普通の歌い方なので、欲を言えばもうちょっと声に〝味〟があるといいんだが…。反対に決して歌が上手いとは思わないが、味のある石原裕次郎の歌い方が好きなおらの印象である。もう少し音量を下げるというか、ささやくような歌い方をマイクを通さないで聴いてみないとわからない面もあるけど…。
 
さて、うちのカミさん。「これほど充実した内容なら、自腹で観ても良いね」とすっかり満足した様子だった。 

2017年2月19日 (日)

吉川英治『新書太閤記』読了

吉川英治著『新書太閤記』(青空文庫・全10巻)を読み終えた。

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で、感想。

「えっ!!! まっ、まさか!!! これで終わり? そんなぁ、詐欺やで~(涙)」である。

ぬわ~んと、豊臣秀吉が徳川家康・織田信雄連合軍と対戦した小牧・長久手の戦いのそれもまだ決着がつかない途中で突然に、唐突に小説が終わってしまうのだ。

日吉丸と呼ばれたガキの頃から丹念に順を追って描いてきておいて、いよいよ天下取りに足を踏み入れたと、読者の期待感を思いっきり膨らませておいて、いきなり中途半端な場面で終わってしまうなんて、ほんと信じられないよ。

小牧・長久手の戦いといえば、秀吉まだ47歳。日本史上希代の出世街道を歩んだその62年の生涯のまだ上り坂の途上である。

これから四国、九州を平定し、小田原城を落として天下統一を達成。さらに明を攻めるための朝鮮出兵と、グローバル展開もせにゃいかんのに。そもそも、太閤になる前に終わってしまう太閤記って有りか? う~ん、もっと読みてぇ。こんなんだとは知らんかったぁ。

初出は読売新聞の連載で、昭和14年1月1日にスタートして同20年8月23日に完了。きっと読売新聞か吉川英治のどちらかにやむにやまれぬ事情があったのだろう。時期的に太平洋戦争の敗戦が影響したのかもしれない。GHQににらまれないように自粛したとか。

英治が秀吉の晩年の生き方を嫌ったからだという説があるようだが、英治のことだからそれならそうと小説の中にきちんと書き込んだのではないか。小説では秀吉の戦国武将らしくない周囲を自然と明るくさせてしまう人間性を肯定的に描いているので、余計にそう思う。

何よりも、原作者として参加しているテレビドラマは秀吉の最期まで描かれているというのだから、辻褄が合わない。

これまでに読んだ歴史小説の『三国志』『新・平家物語』『私本太平記』のいずれも、主人公の死後の後継者らの行く末まで触れているし。『新・水滸伝』だけは絶筆だから未完で仕方ないが…。

ああ、もっと続きを読みてぇ~。

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(豊臣秀吉像=高台寺ホームページより)

読んでいて思ったのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と個性が大いに異なる三傑が順に天下をとったからこそ、その後の300年にわたる安寧の江戸時代が築けたのだということだ。当たり前かもしれないが、時代の求める人材がうまく輩出されてきたわけだ。

もう一つ、武将の死に方についても考えさせられた。敗軍の将たる者、切腹することにより、末端の兵卒や領地の農商工民らの命を守るのがこの時代の掟だ。とはいえ、潔く死ねない輩もいる。桜の花と同じで、その散りぎわに美学を感じるのが武士である。英治は、武士の名に恥じない死に方をした武将を讃え、そうでない武将を貶めている。これは、日本人の大多数の心情も同じことだろう。

この時代の武将の死に方については、どこかで改めてまとめてみたい。

てなわけで、図書館にCDを借りに行ったついでに、これを借りてきた。

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山岡荘八著『豊臣秀吉(7)』(講談社)。全8巻のうちの7冊目で、ほぼ小牧・長久手の戦い以降のことが、これと第8巻で読める感じだ。山岡荘八は初めてだが、読んでみて気に入れば、他の本も図書館で借りてみよう。

以前、吉川英治の絶筆とは知らず『新・水滸伝』を読み、やはり途中で終わってしまったので、消化不良感が残り、杉本苑子の『悲華 水滸伝』を最初から読み直したことがある。でも、今回はよく知っている話でもあるので、途中からでいいだろう、と考えた次第だ。

2017年2月18日 (土)

銚子から成田へ

朝、目覚めると、なぜか千葉・銚子のビジネスホテルのベッドの上だった。
 
てな小説チックなことが起こるわけはなく、昨日から仕事仲間とともにマイクロバスで千葉一帯に出張に行ってきたのだ。
 
朝8:30銚子プラザホテルを出発。銚子港、銚子銀座など周辺をざっと観光してから西へ進み、香取市へ。メーンストリームでひと仕事を終え、「小江戸」と自称している旧い商家が立ち並ぶ街、香取市佐原へ。
 
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マイクロバスから降りて、江戸情緒あふれる街並みを散策。
 
ところが、折りからの春一番が巻き起こす砂嵐で、おちおち目も開けておられない状況。
 
八街の砂ぼこり、別名「やちぼこり」と呼ばれる名にし負う砂嵐なんだそうだ。香取市の南西に位置する八街市は落花生の名産地。その落花生畑の乾いた砂が海抜500m以上の山が一つもない千葉県の広い関東平野に吹き荒れる春一番の南風に乗って襲ってくるのだという。ひどい時は1m前方も見えないくらいに視界が遮られるそうだ。
 
それでも、目を傷めないように砂ぼこりを避けながら街並み観光。
 
「佐原町並み交流館」という資料館に入ると、さまざまな史料が並んでいた。
 
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旧い商家の模型は、本物が現存するものばかりだ。
 
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佐原には香取神宮と諏訪神社という2つの神社があり、それぞれの祭りである夏祭りと秋まつりに3日ずつ山車が出る。今年は、昭和の日の4月29日に両方の神社の山車がいっぺんに登場して町内を練り歩くイベントを行うそうだ。
 
そんなこんなで、観光に力を入れていて、最近は外国人観光客も増えているそうだ。ただ、西側に位置する銚子の犬吠埼や東側に位置する成田山などへの観光のついでに立ち寄る客が多いそうで、宿泊滞在型の観光客は少なく、ちゃんとしたホテルもないのだという。
 
そんなわけで、われわれも一路成田山へ。
 
途中、成田山といえば「川豊」ということらしく、うなぎ屋の「川豊西口館」へ。
 
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「大上うな重」をいただく。
 
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うなぎなんて今年初めて。初うなぎ。しかも、こんな立派なうな重を食べるの生まれて初めて(たぶん)。もちろん、自腹ではありましぇ~ん。
 
ダイエット中のことなぞついぞ忘れて、1.5人前にも思えるほどのたっぷりのお重を完食。
シーハッ。
 
再びマイクロバスに乗って、いよいよ成田駅に到着。
 
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駅前でバスを降りて、成田山への参道を20分ほどブラブラ歩く。
 
参道の途中に、さきほどうなぎを食べた「川豊」の本店があった。
 
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店先で板さんが仕込みをしている。
 
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こりゃ、腹が減ってたら誘われちゃうよなぁ。
 
ちなみに、この川豊の隣もその隣もうなぎ屋。成田山名物といえば、うなぎに漬物に羊羹らしい。
 
いよいよ成田山新勝寺に到着。
 
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総門をくぐって階段を昇り、右手にある手水舎で両手と口を清め、正面の仁王門をくぐる。
 
仁王門の中央にある赤い大きな提灯に書かれている「夢の゛し」って何のことだ? と千葉県内在住の同行者に聞くと、「夢の゛し」ではなく、「魚がし」と書いてあるんだと。なぁんだ魚河岸って、夢がねぇなぁ。
 
と思いつつ、大本堂で「家内安全、交通安全、商売繁盛、宝籤大当選」を丁重に祈願。
 
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自動販売機でおみくじ(百円)を買うと、「吉」だった。「財運」は、最初は思う通りに行かないが、最後は望み通りの財産を手に入れられるという。一応、トランプ米大統領並みのリゾート地を持ちたいものだと思っているのだが…。
 
境内に掛けられている絵馬は国際色豊か。
 
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続いて、開運厄除けの釈迦堂
 
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恋愛成就の光明堂
 
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さらにその奥の平和の大塔に鎮座おわします不動明王(撮影禁止)にも、
大本堂で祈願したのと以下同文で祈願。
 
たとえ最初はうまくいかなくとも最後には望み通りに願いが叶うというご託宣を信じて、成田山を後にした。
 

2017年2月12日 (日)

友ありて遠方より便り来たる

田舎にいる旧友からの年賀状に、入院中だが必ず生還するのでいずれ飲もう、とあったので、奥さんに確認したうえで、ささやかな見舞金を手紙を添えて送ったら、快気祝いの品物と一文字ひと文字を丁寧に手書きで綴った長文の手紙が届いた。

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肺に菌が入ってウミが溜まったそうで、肋骨の間から吸引器を挿入してウミを掃除したまでは良かったが、菌が特定できず、さまざまな点滴薬を試され、その都度副作用に苦しみ、40日以上もの入院生活を余儀なくされたという。

昨年夏には膀胱がんを手術したと聞いていたので、そちらの絡みもあるかもと懸念していたが、とにもかくにも生命に関わるような病ではなくてひと安心。

手紙には、入院中にかわいらしい看護師やフィリピーナの給仕係らに癒やされたことや、これからは家庭菜園に励もうと思っていることなどが綴られ、こちらからの手紙に「できれば、貴君の弾き語りを聴きたい」と書いたことにも応えている。

彼は学生時代、よくギターの弾き語りをわれわれ仲間うちで披露してくれていたのだが、社会人になってからギターを手にしなくなったとひとづてに聞いていたので、負担にならないようにと「できれば」と断り書きをしたのだ。ところが、彼からの手紙によると、定年後の社会福祉活動の一環として、最近は福祉施設などでよく弾き語りを披露しており、歌詞にコード進行を書き込んだ自作の歌集も今では300曲にのぼるのだという。

ほんと、元気でいてくれてありがたい。一層、彼の歌を聴きたくなった。

実は学校を卒業して以来、彼とはもう約40年もじっくりと酒を酌み交わして話し合う機会がなかった。便りがないのは良い便りで、お互いに元気でありさえすればいつでも会えると思ってここまで月日が過ぎてしまった。

それが、この年齢になり、病気になったと聞くと、もしや、二度と元気な姿を見られなくなるのではと考え、取り返しのつかないことになってしまったらどうしようととても不安になる。

旧友の手紙には、これを読んでほしいと、地元のコミュニティー誌に寄稿した一文のコピーが同封されていた。

坂口安吾と太宰治に関する随筆で、『文学漫歩』というタイトルがついている。

読み進めると、貧しい学生時代に友人が『坂口安吾評論全集』を購入したのがうらやましかったという記述に遭遇。「も、もしや」と思ったら、その友人というのはやっぱりおらのことだった。

その全集は、今でもおらの本棚にある。

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それに続いて、友人(おらのこと)からその全集を借りて読んでみたら、『ピエロ伝道者』の冒頭の「空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。」という文に友人が傍線を引いて、余白に「素晴らししい」と下手くそな字で書き込んであったという趣旨のことが書かれている。

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えっ、そんなことあったかなぁ、と全集の第1巻を開いてみると…

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傍線ではなくカッコで、「素晴らしい」も「スバラシイ」と片仮名だが、確かにおらの書き込みがある。

よ~く、こんなこと覚えているなぁと深~く感心。遠い空の下、長い年月をつい会わずにやり過ごしてきても、お互いを大切に思う気持ちは共通して変わることはなかったのだと確信する。

早速、旧友に久々の電話をし、今年は仲間たちみんなで集まって朝まで語り合おうと約束。そのときまでにギターの弾き語りに磨きをかけてもらうことにした。

んで、ウォーキングは9309歩、6516m。いぜん内臓脂肪レベル12.5を継続中。

血管プラーク食事療法を採用したのに対応、カミさんは豆乳ヨーグルトづくりに励んでおり、今夜もデザートにそれをいただく。

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これもカミさんお手製のりんごジャムをたっぷりのせて。これが実にうまい。

2017年2月 4日 (土)

ついに5kg減量!!!

苦節5カ月、ついに5kgの減量に成功した。
 
体重は毎朝、起床後、朝食の前に風呂に入るときにタニタの体組成計で計測しているのだが、今朝は60.95kgを記録。糖尿病の危機に直面し、ダイエットを決意した昨年8月17日のピーク体重66.0kgに比べ、5.05kgの減少を確認することができた。
 
この5カ月間、朝食のシリアルをやめるとともに、まじめにウォーキングに取り組んできた成果といえるだろう。体重が減少しただけではない。頑固な内臓脂肪にも変化の兆しが表れつつある。
 
タニタの体組成計で、これまで内臓脂肪レベルはだいたい13.0が中心値だった。ややもすると、13.5に増え、ウォーキングを頑張ると月に2、3回程度ときどき12.5をつけるというパターンで、内臓脂肪を減らすのはほんとうに並み大抵のことではないんだなぁと思い知らされる毎日だった。
 
それが、2月に入って今日まで、4日間連続で12.5をマークしているのだ。
 
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内臓脂肪レベルが下がると、体内年齢も若返る。
 
今日は49歳。
 
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昨日はぬわ~んと48歳だった。おらって若え~~って、大喜び。
 
今週から始めた血管プラーク掃討作戦、つまり油・脂抜き食事とマクロファージ活性化サプリ(ビール酵母の「エビオス粉末」)でこの勢いを加速し、目標の体重58kg、内臓脂肪レベル10以下の早期達成に向けて頑張る所存である。
 
てなわけで、きょうはカミさんと近くの神社まで徒歩で散歩。一昨日に明治神宮=写真=でお札を頂いてきたので、神棚の3枚目のお札として昨年一年間お見守りいただいてきた京都・八坂神社のお札と正月の玄関飾りを返納するためだ。
 
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帰りに銀行のATMに寄り、さらにいつものスーパーで買い物をして、トータル1万399歩と本日のノルマを達成。
 
さらにさらに、今日から新たなエクササイズを追加することにした。健康雑誌『日経Gooday』2月号(電子版)で、1日4分で体脂肪を落とせると紹介されていた4種目の筋トレだ。
 
具体的には、まず「スライドスクワット」。
 
 
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(『日経Gooday』2月号より)
腰を落としてスクワットの姿勢で体を左右に移動する。これはそこそこ簡単にできた。
 
次に「ひざつき腕立て伏せ」。
 
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(『日経Gooday』2月号より)
普通の腕立て伏せを膝から下の足を上げた姿勢で行うのだが、これはきつい。そもそも腕立て伏せなんかもう何年もやってなかったので、こんなにきついものだったっけぇと改めて思い知らされる始末。2、3回でへたばってしまった。「リズミカルに」などと書いてあるが、とてもそんなどこではない。
 
3つ目は「スーパーマン」。
 
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(『日経Gooday』2月号より)
これは簡単。0歳児がよくやる「ヒコ~キ~」だ。ただ、カミさんに言わせると、おらのは頭部と足が全然上がっていないそうだ。
 
最後は「3方向ひねり腹筋」。
 
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(『日経Gooday』2月号より)
これは最難度レベル。というより、誰かに足を押さえてもらわないと図のようなことはできない。ムリ。いわゆる腹筋運動なのだが、膝を曲げておくところと、起き上がってから左や右に上体をひねるところが斬新。だけど、これって一人でできるやついるのかい?
 
以上の4種目を1種目当たり20秒ずつ2サイクルやって、4分のエクササイズになるという仕組み。
 
曲がりなりにも、何とか形だけはこなして終了。
 
ついでに、2年半前までスポーツクラブでよくやっていた4種目の柔軟体操「真向法」を試みたが、前屈がまったくできないほど身体が固くなっていてガックリ。ついでにこっちも復活するぞ~っと。
 

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