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2017年2月19日 (日)

吉川英治『新書太閤記』読了

吉川英治著『新書太閤記』(青空文庫・全10巻)を読み終えた。

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で、感想。

「えっ!!! まっ、まさか!!! これで終わり? そんなぁ、詐欺やで~(涙)」である。

ぬわ~んと、豊臣秀吉が徳川家康・織田信雄連合軍と対戦した小牧・長久手の戦いのそれもまだ決着がつかない途中で突然に、唐突に小説が終わってしまうのだ。

日吉丸と呼ばれたガキの頃から丹念に順を追って描いてきておいて、いよいよ天下取りに足を踏み入れたと、読者の期待感を思いっきり膨らませておいて、いきなり中途半端な場面で終わってしまうなんて、ほんと信じられないよ。

小牧・長久手の戦いといえば、秀吉まだ47歳。日本史上希代の出世街道を歩んだその62年の生涯のまだ上り坂の途上である。

これから四国、九州を平定し、小田原城を落として天下統一を達成。さらに明を攻めるための朝鮮出兵と、グローバル展開もせにゃいかんのに。そもそも、太閤になる前に終わってしまう太閤記って有りか? う~ん、もっと読みてぇ。こんなんだとは知らんかったぁ。

初出は読売新聞の連載で、昭和14年1月1日にスタートして同20年8月23日に完了。きっと読売新聞か吉川英治のどちらかにやむにやまれぬ事情があったのだろう。時期的に太平洋戦争の敗戦が影響したのかもしれない。GHQににらまれないように自粛したとか。

英治が秀吉の晩年の生き方を嫌ったからだという説があるようだが、英治のことだからそれならそうと小説の中にきちんと書き込んだのではないか。小説では秀吉の戦国武将らしくない周囲を自然と明るくさせてしまう人間性を肯定的に描いているので、余計にそう思う。

何よりも、原作者として参加しているテレビドラマは秀吉の最期まで描かれているというのだから、辻褄が合わない。

これまでに読んだ歴史小説の『三国志』『新・平家物語』『私本太平記』のいずれも、主人公の死後の後継者らの行く末まで触れているし。『新・水滸伝』だけは絶筆だから未完で仕方ないが…。

ああ、もっと続きを読みてぇ~。

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(豊臣秀吉像=高台寺ホームページより)

読んでいて思ったのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と個性が大いに異なる三傑が順に天下をとったからこそ、その後の300年にわたる安寧の江戸時代が築けたのだということだ。当たり前かもしれないが、時代の求める人材がうまく輩出されてきたわけだ。

もう一つ、武将の死に方についても考えさせられた。敗軍の将たる者、切腹することにより、末端の兵卒や領地の農商工民らの命を守るのがこの時代の掟だ。とはいえ、潔く死ねない輩もいる。桜の花と同じで、その散りぎわに美学を感じるのが武士である。英治は、武士の名に恥じない死に方をした武将を讃え、そうでない武将を貶めている。これは、日本人の大多数の心情も同じことだろう。

この時代の武将の死に方については、どこかで改めてまとめてみたい。

てなわけで、図書館にCDを借りに行ったついでに、これを借りてきた。

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山岡荘八著『豊臣秀吉(7)』(講談社)。全8巻のうちの7冊目で、ほぼ小牧・長久手の戦い以降のことが、これと第8巻で読める感じだ。山岡荘八は初めてだが、読んでみて気に入れば、他の本も図書館で借りてみよう。

以前、吉川英治の絶筆とは知らず『新・水滸伝』を読み、やはり途中で終わってしまったので、消化不良感が残り、杉本苑子の『悲華 水滸伝』を最初から読み直したことがある。でも、今回はよく知っている話でもあるので、途中からでいいだろう、と考えた次第だ。

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