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2017年11月

2017年11月27日 (月)

午前病院・午後クリニックと駆け回る

会社を休み、午前中はA総合病院、午後はS脳神経外科へ。

A総合病院は、高血圧をはじめとするメタボ関連の疾患管理のために3カ月に一度診てもらっている糖尿内科と、2014年6月の前立腺がん手術後の半年に1回の経過観察のための泌尿器科受診が目的。

朝8時過ぎに東京タワー近くのA総合病院に到着。

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自動受付機で受け付けを済ませてから、いつものように採尿と採血を終え、泌尿器科の窓口に診察カードを預けたあと、コンビニでサンドイッチと牛乳を買い、ガラス越しに暖かい日が射すベランダで遅い朝食を摂る。

本来なら、最初に糖尿内科から受診するのだが、きょうはかかりつけのA先生が研修で不在なので薬をもらうだけの予定となっていて、それがどの程度の時間がかかる作業なのか初めてのことで要領を得ないため、先に泌尿器科のほうを済ませておいたほうが安心だべと思って、泌尿器科のほうにカードを出しておいたのだ。

ただ、いつもなら糖尿内科は9:00に予約を入れるので、泌尿器科のほうは9:30の予約で、きょうも泌尿器科は9:30のまま。そのぶん、もともと待ち時間が長いうえに、前の患者がつかえていて、結局、泌尿器科のI先生に面会できたのは10:30頃。ギャフン。

泌尿器科でチェックする最重要項目はPSA(前立腺がん特異抗原)の値。結果は0.01。I先生は「PSAは0.01です。問題ないですね」と言うので、気にも留めなかったが、あとでプリントアウトしてくれた血液検査表を見ると、半年前の5月29日までは術後からずっと「<0.01」だった。つまり0.01未満。それが今回は「<」がない。とうことは、PSAが増加に転じたということか? がん細胞がどこかでうごめき始めたということか?

まぁ、PSAの基準値は4.0だから、そんなに気にする値でもないんだが…。

I先生には尿漏れのことも聞かれたので、「最近、尿漏れパッドの重さで尿漏れの量を測っているのですが、だいたい1日ひと桁で、1カ月に1~2回ほど20~30ccほどになる」と答えておいた。

実は、アマゾンでこのかわいらしい秤を1269円で購入。

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9月から毎朝、尿漏れパッドの重さを測り、血圧、体重体組成計、歩数とともに記録しているのだ。

愛用している「ライフリー 男性用 さわやかうす型パッド 80cc」の1個当たりの重さが12.84g。尿を含んだパッドの重さを測り、その値から12.84gを差し引いて尿漏れの量をはじき出す。たとえば、11月はいまのところ最高が20.6g(≒cc)、最低が1.3gといったところだ。

I先生は、「じゃあ、引き続き骨盤底筋体操を続けてください」と言う。おらは「えっ、そんなのずいぶん前にやめてしまったよ」と内心で思ったが、「はい」と答えておいた。今さら、骨盤底筋体操が役に立つのだろうか?

I先生の診察室から出て、血液検査表をよくよく見ると、クレアチニンが1.25mg/dlと基準値の1.1mg/dlはいぜん上回っているものの近年になく低い値となっている。RAP食を中心とする脂質コントロールがいよいよ効いてきたのだろうか。

RAP食の提唱者である真島医師は確か、腎動脈狭窄症も血管にプラークが貯まるのが原因だから脂質制限で治せると書いていたはず。おらの腎動脈狭窄症が快方に向かっているのかもしれない。なんだか明日に向かって明るい展望が開けてきたぞ。

と思ったら、逆に、尿素窒素が36mg/dlと基準値の20mg/dlを大きく上回り悪化していてガックリ。おらの腎臓は良くなっとるのか悪くなっとるのか、どっちなんだ。

このほか、尿酸値も前回に続いて基準値内に収まっている。

ただ、泌尿器科の指示に基づく血液検査のためか、肝心のコレステロールやヘモグロビンA1cの数値がなくてがっかり。

続いて、糖尿内科の窓口に診察カードを提出し、「お薬のみ」と受付票の指示に従って申告する。

10分ほど待たされてから若い先生の待つ診察室へ。処方のみでも、一応、医師の問診が必要なのだそうだ。3分くらいで問診を終え、処方箋を書いてもらって会計へ。

隣の薬局で山ほど薬をもらって外に出たら、もう正午。代々木で海鮮丼を食べて、いったん帰宅。今度はクルマでS脳神経外科へ。1年に1回の頭部MRI検査と頸動脈エコー検査を受けるためだ。

成金趣味のS脳神経外科だけあって、今年も派手なクリスマスの飾り付け。

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待合フロアには新たに大画面の4Kテレビが導入され、女性事務員の制服もいちだんと派手になっていた。

予約してあったので、そう待たされずに名前を呼ばれ、いつものように身長、体重を測り、まずは左右の頸動脈エコーを撮る。相当疲れているのだろうか、ベッドに横になっているうちにウトウトしてしまい、ついいびきをかいてしまった。続いて、MRI。こちらもウトウトしているうちに終わった。

結果は1週間経ったらいつでも聞きにおいでということで、またのお楽しみ。

2017年11月23日 (木)

死期を悟り、感謝の集いを開く人の心根を思う

年末が近づくにつれ、喪中葉書きが届くようになったが、今年はショッキングなものが続いた。

一つはおらが最初に就職した会社の一年下の同僚の逝去を知らせるもの。30歳を機に、おらが転職したため、長い間年賀状のやりとりだけになっていたが、数年前にその会社が倒産したあと、昔の仲間で集うようになり、彼がおらのことも誘ってくれるようになった。昨年の今ごろも声がかかったが、たまたま他の集いと重なり、出席できなかった。今年もそろそろ声がかかるはずと思っていたところにこの訃報。享年62歳はいかにも早すぎる。

もう一つは、30代の後半に取材を通じて知り合った旧友の奥さんの逝去。今月1日に永眠とあるので、驚いて電話をしてみると、もう2年もがんで闘病生活を続けていたので覚悟はできていたとのこと。旧友は日本人なら誰もが知る大企業の副社長だけに、仕事に追われて気は紛れるだろうが、子供たちが独立したあとの独り住まいの自宅に戻れば、やはり大きな喪失感に襲われることだろう。来月に励ます会を開くことにした。

そんな折り、日本経済新聞の今月20日(月)付朝刊にこんな個人広告をみつけた。

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建設機械最大手のコマツの社長、会長を務め、国家公安委員など多くの公職を歴任した安崎暁氏(80)によるものだ。この人の後を継いだ坂根正弘氏なら会長時代に何回か取材したことがあるが、安崎氏は残念ながら面識がない。ただ、この一文を読むと、その人となりは日本の製造業を代表するコマツの質実剛健な社風と無縁ではないように思える。

この世を去るにあたって、自分と関わりを持ったすべての人に感謝の気持ちを伝えたいという思いはよく理解できる。しかし、一般人の大多数がそれを叶わぬことと断じて、ならば誰にも知られずに密かに消えていきたいと思うのではないだろうか。病のことはお気の毒だが、さぞかし幸せな人生を送り、その人生にふさわしい幕を下ろそうとしているのだろうと、羨ましさすら覚える。

ここはぜひ、日経ビジネスあたりに感謝の会の取材と本人へのインタビューを試みてほしい。

2017年11月15日 (水)

スマホを新調

先日、大阪で行われた季刊誌の編集会議で原稿料を少しばかりもらったので、スマホを新調した。

「富士通arrowsM04」=写真右。

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これまで使ってきた「富士通arrowsM01」=写真左=の最新型だ。

契約通信サービスプロバイダーのNifMo(ニフモ=ニフティの格安スマホブランド)で機種変更したので、価格は2万8800円(税抜き)+手数料3000円と割安。

もっとも、このM04、世間的にはすこぶる評判が悪い。1年前の昨年夏に発売されたM03とスペックがほぼ同じだからだ。大きさはもちろん、内蔵メモリの容量もカメラの画素数もまったく同じ。違いと言えば、洗えることくらい(!)。

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(富士通のホームページより)

そんなもん洗わんし!!

では、なぜ時代遅れともいえるスペックのM04をあえて選んだのか、というと頑丈なつくりになっているからだ。

これまでM01を使ってきて、駅のホームなどで何度もコンクリートの床に落としてきた。駅のトイレでは、上着の胸ポケットに入れておいたM01が上着を脱いだ拍子に勢いよく飛び出し、壁に叩きつけられてから跳ね返って床に再度叩きつけられたことが2回ある。だが、拾い上げたM01は何事もなかったかのように平然としていた。M01も防水対応だが、幸い水没事故はなかった。

arrowsMシリーズはこの頑丈さがウリである。うちのカミさんは「HUAWEI P9lite」を使っていたが、1年ほど前に台所でYouTubeを見ながら料理をしていて水没。あえなくオシャカにしてしまったので、防水対応のM03に変えさせた。M04はその防水性能に加え、耐衝撃性能も一段とアップさせたという。

2年前の9月にM01を購入して格安スマホ生活を始めた直後にM02が発売され、悔しい思いをしていたおらとしては、M01にあんまり愛着が持てず、早いうちに機種変更したいと思い続けていた。

最近発売されたiPhoneXも魅力だが、乗り換え駅の改札のすぐ近くにあるビックロで手にしてみると、コンクリートの壁や床に叩きつけたら液晶部分が簡単にひび割れてしまいそうな構造に思えた。何よりもスマホに11万円も投資できない。3万円で手に入るスマホがあるのだから。

それに、M04のスペックがM03からまったく進化していないといっても、これまで使ってきたM01と比較すれば大いに向上している。

液晶画面は4.5インチから5.0インチと大きくなり、本体サイズがひと回り大きくなったのにもかかわらず、厚さが10.9ミリから8.0ミリへと薄くなり、重さも153グラムから148グラムに減少。内蔵メモリもROM8GB、RAM1GBからROM16GB、RAM2GBと倍増した。カメラはアウト800万画素、イン130万画素がそれぞれ1310万画素、500万画素と申しぶんないレベル。

かてて加えて、今やほとんどのスマホから姿を消したストラップ穴がある。ガラケー時代が長かったおじさんたちにはストラップが必須なのだ。Mシリーズは頑なにストラップ穴を守り続けている。富士通はエライッ!!

で、早速、起動。各種アプリや電話番号帳などのデータをM01からM04に移し、ストラップも付け替えた。

時代遅れのスペックを承知で選んだM04。今度は長く使い続けようと思う。

2017年11月 4日 (土)

演歌とジャズの相性の良さを再確認

3連休の真ん中というんで、南青山MANDALAへ。

お目当てはこれ。

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演歌歌手の広野ゆきと落語家の柳家小きんとジャズピアニストの大山泰輝のコラボによる秋のスペシャルライブ「人生楽ありゃ苦もあるさ」。

広野ゆきさんとは7年前に仕事の関係で知り合ったのだが、これまでに歌を聴いたのは2回だけ。それも1回目はスナック、2回目はカラオケ屋で、ちゃんとしたステージは今回が初めて。ちょっと面白そうなコラボだったので、カミさんと顔を出してみた。

最初に、大山泰輝のピアノに合わせて、タイトルの「人生楽ありゃ苦もあるさ」を歌いながらゆきさんが登場。2番を大山泰輝が引き取り、さらに3番を小きんが歌いながら登場するという幕開け(幕はないけど…)。テレビドラマ「水戸黄門」の主題歌だが、ブルース調で聴くと確かに味わいのある歌だ。

ゆきさんの口上のあと、第1部の落語とピアノのコラボがスタート。演し物は「阿武松」。大飯食らいの相撲取りの立身出世譚だ。加賀の国から江戸に出てきて相撲部屋に無事入門できたところで、BGMとして泰輝のピアノが坂本九の「明日があるさ」を奏でる。しかし、〝おまんま〟を1度に数十杯も食べるので部屋が持たないというので破門になってしまうところでベートーヴェンの「運命」の冒頭の部分が奏でられるという具合。

まぁ、悪くはないが、いちばん前のかぶりつきで聴いていたカミさんは「ピアノが鳴ると噺が聞こえなくなる」と不満げ。改善の余地ありか。

さて、2部のゆきさんの出番。十八番の「望郷よされ」「火宅の愛」など持ち歌を披露。子どもの頃から白根一郎や井沢八郎の前唄を務め、そのまま歌手になったという美空ひばりみたいな道を歩んだだけあって、やっぱりうまい。

この段階ですでに2つ目の着物に着替えているのだが、ピアノがソロをとっている間にドレスに着替えて再々登場。250年前に作られたというウッドベースを抱えた森田晃平も加わり、スタンダードナンバーの「フライ・トゥ・ザ・ムーン」を皮切りにいよいよジャズシーンに。

圧巻は演歌のジャズアレンジバージョン。「あれからニシンは どこへ行ったやら」で知られるなかにし礼作詞の名曲「石狩挽歌」がめちゃ良かった。カミさんも「演歌とジャズって合うねぇ」と感激した様子。そりゃ、どっちも下積み労働者の唄、民衆の、草の根の唄なんだからまぜこぜにすればするほど日本人の心に響くってぇのは昔から色んな人が試してきてわかっていることよ。

最後に、「せめてひとこと言いたかった あなたの娘でよかったと」と母に捧げる彼女の持ち歌の「まごころ」。ゆきさんのお母さんはステージママで、そのためにゆきさんもキングレコードからデビューできたんだけど、若い頃はその母親といろいろ葛藤があったらしく、18歳でひとり住まいをしてから絶交していた期間があったなどと、歌の前に今は亡き母親との思い出を語ったので、カミさんは歌を聴きながら涙を拭いていた。

アンコールは小きんも含めて全員で美空ひばりの「お祭りマンボ」。去年の暮れに聴いた山下洋輔と岡林信康のジョイントコンサートでもアンコールはこの歌だったのを思い出した。全員で歌うのにいいし、明るく締められるのだろう。

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