風越誠

2017年4月14日 (金)

桜の花の終わりに

代休で一日休み(^^)/ …なのできょうから3連休(^^)/

一年(ひととせ)を待ちて焦がれていざ逢わん君も変わらぬ君と思えば     風越誠

このところ気が気でなかったのが桜の花のことである。

8日、9日の土日が春の交通安全キャンペーン絡みのイベントのためにずっと新宿駅で仕事をしていたので、やっとこ咲いた桜の花をゆっくりと観賞する機会がなかった。2月、3月と桜の花のことをずっと考えてきていたのに、このまま散られてしまっては死ぬにも死ねない(死なんけど…)と思い詰めて、ようやくきょう休みが取れたので、いつものウォーキングがてら桜の花を堪能してきた。
 
でもやっぱり遅かりし由良之介。あの限りなく白に近い薄ピンクの人を妖しくさせもする醍醐味豊かな桜の花はもう見当たらず、まさに盛りを過ぎつつあるところでしかなかった。
 
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中年にさしかかって髪の毛が薄くなった人のように全体に花びらが間引かれた感じになり、花の色も赤っぽい部分と緑っぽい部分が表れてきて、そのぶん最盛期と比べると全体に汚い感じになっている。
 
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赤く見えるのは、花を構成する部品のうち白い花びらが散り、残された赤いおしべ、めしべ、子房が露わになるからだ。続いて、若葉も芽吹いてくるので緑色にもなる。もうすぐ緑一色の葉桜となることだろう。
 
並木通りからため池のほうへと歩を進める。
 
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名残り惜しげに桜の花の下で弁当を広げるカップルもちらほら。
 
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対岸の桜ももはや盛りを過ぎている。
 
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桜と菜の花に包まれた小径を進む。
 
おそらく、これで今シーズンの桜観賞は終わりだな。
 
てなことを考えながら、ウォーキングの帰りに図書館に寄り、インターネットで予約しておいたCDを借りてきた。
 
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ザ・ピーナッツの「ザ・ピーナッツ・シングルス」というシリーズ。ライナーノーツには詳しいことが書かれていないが、デビュー40周年記念とあるので、1999年頃に発売されたシリーズだと思われる。それぞれCD2枚組みで3パック合わせて106曲ある。図書館にはこのシリーズがあと1パックあるのだが、1回に3パックまでしか借りられないので、残りは明日借りる予定だ。
 
子供の頃にラジオやテレビから流れていたザ・ピーナッツの歌を改めて聴きたくなったのは、8日(土)の夜に仕事を終えてから浅草に駆けつけて鑑賞したコンサートで彼女たちの歌が何曲も歌われたからだ。
 
コンサートのタイトルは「ジャズと流行歌」。
 
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K-starrという19歳の女性2人組ボーカルユニットと「ビックバンド浅草」というジャズバンドのジョイントコンサートだ。このバンドの一員である友人に教えられて行ってみたのだが、とても楽しいコンサートだった。
 
女性2人はソロもデュオも歌うのだが、よく声が出ていてなかなか聴かせる。
 
ちょっと2人とも足が太く見えるのが気になってしょうがなかったのだが、コンサート終了後、ロビーに出てきて友達と話している2人をチェックしていたカミさんによると、足はちっとも太くなくて、ステージで太く見えたのはストッキングの色とライトのかげんのせいではないかとのことだった。
 
まぁ、そんなことはどうでもいいのだが、2人がステージで歌の説明をしていたなかに、ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」は、日本で初めてのオリジナルポップスだというのがあった。いわば記念すべき初J-POPSの曲というわけだ。
 
時代的にまぁ、そんなもんかもしれない。1960年代といえばアメリカン・ポップスやそれを翻訳した歌が大流行していた時代。プレスリー大好き少年たちの生態を描いた深沢七郎の『東京のプリンスたち』の世界だ。その世界にちょっと浸ってみたくなって、ザ・ピーナッツのCDを借りたわけだ。
 
早速、iTunesにリッピングしてから愛器「CAS-1」プラス「SA-CS9」で再生。
 
すげぇ、いい!!!
 
まさに不世出の天才といっても過言ではない。素晴らしい。
 
双子だからこそなせる技なのか。あたかも1本の透明な棒のように見えた水道の水の流れが何かの拍子にこよりを撚るように2本になってねじれ合いながら流れていくように、2人の同質の声がとても自然にかつ美しく重なりあってはまたハモる。しかも、ひと節の中にも微妙な強弱があり、息ピッタリにきちんと美しく合わせている。全曲がそうだ。
 
子供の頃は何気なく聴いていたんだが、考えてみればこれは貴重な日本の文化遺産である。
 
K-starrの2人も、良いところに目をつけたと思う。たぶん、プロデューサーでバンドマスターの人の発案なんだろうけど、そうだとしても、ボーカルデュオとしてこれ以上のお手本はない。まだまだ若くて伸び盛りだ。ザ・ピーナッツを目標に精進してほしい。
 
そういえば、これにコブシを効かせたデュオもいたよな、と思い至った。そう、「こまどり姉妹」である。早速、インターネットで図書館に予約をしておいた。どんな歌を歌っていたか思いだせないが、やはりうまかった気がする。入手するのが楽しみだ。

2017年1月 3日 (火)

初詣と舟木一夫とロト6と

朝食後、帰省していた娘一家が福島に帰るのを見送ったあと、近くの氏神様に初詣。家事を一切手伝わない娘たちのために年末から働きづめだったカミさんは腰が痛いから今日は休みたいというので、一人で神社に向かう。もちろん、歩きでだ。

ワイヤレスイヤホン「MDR-XB70BT」でスマホの「Google Play Music」を聴きながら飛び石で川を渡るいつものショートカットルートで歩く。途中、Play Musicで「舟木一夫」を検索すると、ぬわ~んと、「アルバム38枚」と表示された。

い、いつの間にこんなに青春歌謡の大御所のアルバムが大量に登録されたのだろうか。知らんかった。も、もしやと思って、「B面コレクション」を探してみると、それもちゃんとある。確か1年ほど前かもっと前になるか、「Apple Music」と相前後してPlay Musicが日本に上陸したときには舟木一夫の曲などほとんどなかった。だから、Apple Musicで舟木一夫の「B面コレクション」というCD6枚組のアルバムを発見したときには一晩中聴いて、「音楽ストリーム配信サービスはApple Musicがいちばんだなぁ」と感嘆したものだった。

そうか、ついにPlay Musicもこの域に達したのか。さすがGoogle、Appleに負けじと頑張ってるな。グーグルペンアッポーペンだ(?)。

てなわけで、舟木一夫の「B面コレクション」を聴きながら神社に到着。古いお札を返してから、参拝し、新しい氏神様のお札と神宮大麻を購入して帰途に。

自宅の近くまで戻って来て、スマホの歩数計を見ると、まだ3700歩程度。そこで、近くの2つのため池をぐるっと回ってから、スーパー「ヤオコー」でカミさんと自分用の昼飯、つまりはカップヌードルの「トムヤムクン」2つとカミさん用の巻き寿司といなりのセット、自分用のカツサンドを購入して帰宅。

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これで9220歩。目標の8000歩をクリア。

神棚にお札を祀ったあと、ふと当たり損った年末ジャンボ宝くじのことを思い出し、もしやロト6のほうはどうなんやとスマホをチェック。実は、最近、三井住友銀行のスマホアプリで、宝くじを定期購入しているのだ。

三井住友銀行のアプリで買えるのはロト系とナンバーズ系のみだが、当選すると、黙って預金口座に当選金を振り込んでくれる。街の宝くじ売り場で買って当たるとみずほ銀行の本店まで当選金を受け取りに行かなきゃいけないようだが、これならめんどうくさくないし、誰にも億万長者になったことを知られなくて済むのでありがたい。

元旦に明らかになったジャンボ宝くじニアミス事件は、ロト6大当たりの前兆だったかも。とすると、三井住友銀行のおらの預金口座残高は年末の段階で2万5600円だったから2億2万5600円に増えているはずだ。そう思ってスマホを確認してみると、画面は「請う次回を期待」と言いたげだった。

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昼食後、今度はパソコンのPlay Musicで改めて舟木一夫の「B面コレクション」を聴いてみた。

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これ、全部で119曲あり、全部を聴くには7時間以上かかる。そのうち、知っている曲は10曲もない。だけど、すべての曲がいわゆる青春歌謡サウンズなのだ。だから新鮮でいい。知っている曲はやはり飽きている感があるので、知らない青春歌謡を聴けるなんてとても素敵なことなんだ。

青春歌謡が流行ったのはおらが小学校の高学年から中学生にかけての頃だ。その後台頭してきたグループサウンズに次第に人気を奪われていったが、舟木一夫ら青春歌謡の歌手が新曲を出すたびにワクワクし、なけなしの小遣いでドーナツ盤を買ったり、友達に借りたりしたものだ。

知らないけれど懐かしいテイストのするサウンドを聴くと、その頃のワクワク感が戻ってきて、青春時代までいかないいわば思春期時代の自分に戻った気分になるのである。

てなわけで、舟木一夫以外の歌手も検索してみると、三田明がアルバム4枚、西郷輝彦が1枚それぞれあるものの、松島アキラも梶光夫も北原謙二もゼロ。あとはどちらかというと青春歌謡の範疇には入らない普通の歌謡曲のほうがメーンの橋幸夫が10枚ある程度。Play Musicの今後に期待したい(3カ月100円の試聴期間が終了し次第契約を解除するけど)。

2017年1月 1日 (日)

年頭にあたり1年の計を立てる

初春のやわらかき陽に川面照りカルガモ親子の隊列ひとつ  風越誠
 
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まちのスポーツ施設が休みなので、初歩きは川辺の往復だけにして9,768歩、6837m。
 
従来の目標の1日1万歩には足りないが、今年からは1日8000歩を目標にすることにしたので、これで充分なのだ。というのも、効果的かつ持続性のあるウォーキングを追究するとこの程度が良さそうなのだ。
 
健康雑誌『日経Gooday』(電子版)12月20日号によると、病気を予防するためのウォーキングの黄金律、つまり最もメリットが大きくリスクが少ないのは「8000歩・中強度運動20分」なのだそうだ。65歳以上の5000人を15年以上にわたって調査した結果、判明したことだというから従うほかない。
 
中強度の運動というのは速歩きもその一つというから、3分ごとに普通歩きと速歩きを繰り返す今までの緩急歩行法を続けていけば良さそうだ。
 
スポーツ施設まで足を延ばすと、1万2000歩ほどになるが、まぁ週1くらいだから誤差の範囲だろう。とにかく、長~く続けるために、歩きすぎて足を傷めてしまうことのないように心がけたい。
 
もう一つ、年頭にあたって1年の計を考えるとすると、やはりeワラント投資の建て直しを考えないといけない。とにかく、無駄遣いを戒めて、コツコツと投資資金を貯め、再び1億円ゲットの目標に向かってスタートを切れるようにしたい。
 
年末ジャンボ宝くじで2等1500万円を当たり損ねた(?)。2等の当選番号は「180947」、これに対し、おらの手元にあるくじの番号は「180937」。わずか1文字の違いだ。(もっとも、組は下1ケタ9組が当選なのに対しおらは7組と違うんだけど…)。
 
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180947で「いやーっ、わっ、くやしいなぁ」である。
 
パソコンで当選番号を確認して「ウォー―ーッ」と叫ぶと、カミさんと福島から遊びに来ている娘、それに3歳と1歳の孫2人がいったい何事かとおらの部屋に集まってきたが、事情がわかるとみんなシラーッとしてさっさと引き揚げてしまった。
 
だが、これほどのニアミスはわが生涯初めてのことだ。こいつぁ、初春から縁起がいいわいということで、金運が大きく上昇しつつあるに違いないと思いたい。
 
とりあえず、今年もロト6を中心に宝くじをセッペセッペとでもほどほどに買い続けてみよう。

2015年3月22日 (日)

墓参り

義母が平成23年8月に逝去して以来、春と秋の彼岸はカミさんの実家があった栃木へ墓参りするのが恒例行事となっている。いつもは栃木近辺での簡単な観光を兼ねるのだが、今回は九州出張から帰ったばかりで疲れていたため、21日(土)の午後に図書館から帰ってきてから、クルマで墓参りの定宿となっている小山市の「小山グランドホテル」へ直行。

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天皇陛下ご夫妻と秋篠宮殿下ご夫妻がそれぞれ宿泊されたことのあるホテルなのだが、1泊2食付きで8000円台と安いのがありがたい。

横浜で特許事務所を営む義兄夫妻と落ち合って4人で夕飯。網焼きステーキがメーンディッシュのフレンチのコースで舌鼓。ほんとこの料金でこの料理かよと驚く。

翌22日(日)、隣の栃木市に移動し、義父と義母が眠る墓(神式なので正確には「奥津城」という)にお参り。終了後、義兄夫妻の提案で車で15分程度のところにある「柏倉温泉 太子館」へ。

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大正13年に出湯、開業したというそこそこ由緒ある温泉だ。

春の陽の湯気にかげろう露天風呂冷たさ残る風ぞ涼やか        風越誠

春の陽を浴びつつ浮かぶ露天の湯憂さの残らず浸みだすがごと    風越誠

風呂から上がって昼食。メニューにそば5合と1升と書いてあるので、店の人に聞くと4人なら1升だというのでそれを注文。カミさんに帰途の運転を託して生ビールを一杯。

ん~ん最高っ!

奥にある山には聖徳太子神社があるが、急峻な石段を登らないと参拝できない。

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この温泉宿には何回か来ているが、まだ登ったことはない。そこでカミさんが登ろうと言いだし、4人で老体にムチを打って登る。急峻とはいえざっと100段程度なので、ヒーヒー言いながらもすぐに登り切る。そのあと、お堂の中に入るのにはるか下界を見下ろす外廊下を通るのだが、義兄が極度の高所恐怖症だということを初めて知った。

はるか下界の眺め↓

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この後、駐車場に戻り2組の夫婦が解散。秋の彼岸に再会するまでのお互いの健康を祈りつつ帰途に着いた。

2014年12月14日 (日)

休日出勤(涙)

休み♪……のはずが(涙)

遅い朝食を済ませて書斎に篭り、パソコンのスイッチに手を延ばそうとすると、パソコンの横の充電器に載せてあるわがガラケーが異な光を発している。

ん? ガラケーを手にとってふたを開けてみると、着信が3件と留守電1件が…。いずれも同じ発信者。きのう、原稿を置いてきた印刷工場だ。早速、電話をしてみると、なんときのう渡した原稿①~⑤の5本のうち、①がなくて、②が2本あり、しかも文章が若干違うという。つまり、ファイル名を①としたものが実は中身は②で、ファイル名②を修正したものだったのだ。

ギャフンである。だから、きのう渡したときに、確認してくれと言ったのに。おらより年上のおそらく再雇用されたとおぼしき係りの爺さんが「大丈夫でしょう」とよく調べもせずに言うから引き揚げてきたのに。あの爺さん、そもそも自分の机の上にパソコンがないからなぁ。会社でパソコンを配給されていないんだ、いまどき。だから、ディスクの中身を調べるには、近くの女性か誰かに頼まなくてはいけない。それがめんどうで、安請け合いしてるんだ。

その爺さんが15分の間に4回も電話してきたんだから、相当に泡を食っているんだ。レイアウト係に、「オラオラ、早くちゃんとした原稿もらってこんと、帰れんじゃねぇか」なんて怒鳴られているかもしれん。

仕方なく、おっとり刀で会社に行くことにした。カミさんに「顔くらい洗っていったら」と言われて、それもそうだなと、洗面所に行き水道の水で顔を濡らした。出勤日でも休日でも、必ず朝風呂に浸かる習慣のおらとしては、顔だけ洗って出かけるのはいつ以来だろうか。鏡を見ると、髪の毛に寝ぐせがついて部分的に立っていたが、誰に会うわけじゃないしと、そのまま出かけた。

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昼時の陽射し浴びつつ急ぐ身に銀杏並木の黄金の吹雪      風越誠

新聞社時代は土曜も日曜もありゃせなんだが、月15日勤務の非常勤職員で勤め始めて3年目の今の会社に土日に行くのは初めてのこと。ビルの中に入れるのかどうか一抹の不安があった。

いつものようにビルの横の入り口から入ろうとすると、自動ドアが開かない。「やべぇ、もしや」と思いつつ正面玄関に回ると、こちらのドアは普通に開いた。問題は、執務室がある7階のドアだ。これが開かないと、一巻の終わりだ。悪いがあきらめてくれ、セリヌンティウスよ…と思いつつドアの脇のセンサーにICカードをかざすと、「ピッ」といつものように音がして、こちらも普通に開いた。

このドアがカードで開錠する仕組みになったのは半年ほど前からだ。それまでは、一日の最初にだれがどうやって開けていたのか知らないが、少なくとも夜は最後に帰る人が施錠して、その鍵をおそらくビルの管理人に渡して帰る方式だったはずだ。非常勤のおらは施錠した経験がないし、ビルの管理人室がどこにあるのかも知らない。だから、このドアが開けられなかったら、管理人室を探すとか、休日を楽しんでいるはずの正職員に電話をして助けを請うはめになっていた。

無事、誰もいないフロアに入り、自分の机に座って、パソコンを立ち上げる。ところが、指紋認証のセンサーがうまくわが指を認識してくれず、画面を開けない。何度もセンサーの上を指でなぞってみる。だんだん、鼓動がバクバクしてきた。もうかれこれ2時間近くもセリヌンティウス、もとい、印刷工場の爺さんを待たせている。も、もしや、システム部が毎月予め届けている出勤日しかパソコンを使えないように操作しているんじゃないか、などという疑念も湧いてきた。でも、10回目くらいで認識してくれた。

んも~いっつもこうなんだ、この富士通の指紋認証装置はぁと思いつつ、ホッとしてファイルをクリック。送るべきファイル2つを確認して、メールソフトを立ち上げ送付。いつものように、ファクシミリでも原稿を送ろうと、プリントアウトしたのだが、複合機の電源スイッチの位置がわからない。あっちこっちを探して、ようやく見つけ、印刷&送信。爺さんに電話を入れる。

これで任務完了。

池袋で遅い昼飯。

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海鮮丼と生ビール。満腹になって、シィーハッとしたところに爺さんから電話。「無事、原稿が揃いました。レイアウトのほうで組んでみたら、文章量もちょうどいいようです。月曜日にゲラをお持ちします」と明るい声。今さら、まだ原稿が足りないって言われても、こちとらもう池袋なんだから遅いんだし…と思いつつ、まずはひと安心。池袋の街を久しぶりにぶらぶらしてから帰途についたのでした。

2014年10月26日 (日)

ふるさとの山

2週続けての帰郷。今度は高校の同窓会である。

いろんな友と再会した。いろんな友の話を聞いた。いろんな友に話をした。

感激、感涙、感動のひとときでした。みんな、ありがとう。

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 風越は権現抱き雲抱き我をも抱くふるさとの山     風越誠    

2014年7月 9日 (水)

入院日誌その15(最終回)

昨夕、血尿が大量に出たので焦ったが、きょう一日、とくに変わったこともなく過ごせた。あえていえば、尿の出が良くなったというか、増えた。尿道の中のさびついていた部分が溶けて、尿道内が広がったイメージだ。さびの混じった水、つまり血尿はいまだに出ている。

さて、入院日誌の最終回。

☆入院日誌その15

6月22日(日)

朝4時、右下腹部の腫れが若干引いた感じがする。抗生物質が効いたか。

夜明け前のベッドで医師という職業について、あれこれ考えた。医師という職業にある人が尊敬されるのは、社会的に安定した地位を与えられているためではない。患者のために昼夜を問わず働き、全知全能を傾けて患者の患部を改善しようと取り組む人たちであるからだ。自分の生活を投げ打ってでも、目の前の人の命を救おうとする崇高な使命感のもとに働く人たちであるからだ。

医師を育てるための大学や医学部は全国に約80カ所しかなく、超難関の試験を突破しなければ医師にはなれない。つまり、ずば抜けて頭がいいうえに努力家でないと医師にはなれない。しかも、医師になっても、路頭に迷うことはないだろうが、金銭的な裕福さを保証されるわけではない。とくに大病院の勤務医などの給料は公務員とさして変わらない。国立病院ならまさしく公務員待遇だ(たまのアルバイトで日銭を稼げるが…)。それでも、医師になり、人の命を救おうという若き日に抱いた人生の目標をいつまでも持ち続ける人たちだ。

だからこそ、米国留学帰りのMBA(経営学修士)や外資系ディーラー、IT系ベンチャー起業家らと違って、一般の人たちから素直に尊敬されるのだ。考えてみれば、この病院の先生たちもみんな好漢だ。常に患者のことを考えている。

ヘパリン事件で、一時はI先生を恨んだ。なんでこんな目にと悔しかった。医療ミスとして告発してやろうとも考えた。だけど、I先生は手術による身体への衝撃で、血栓ができることを懸念したからこそ、ヘパリンを投与したのだ。考えてみれば、おかげで心筋梗塞や脳梗塞を併発しなくて良かったのかもしれない。併発していたら、こんなどこじゃなかった。そう思うことにした。

I先生もK先生もおらの学校の後輩だ。もちろん学部は違うけれど。かわいい後輩たちが将来に向かって、より優秀な医師として世のため人のために輝いてほしいと願わざるを得ない。

子供の頃、紙石鹸というのをよく雑貨屋で買ったのをふと思い出した。紙のようなハッカ飴もあった。2つは良く似ていたと思うが、取り違えたことはなかったと思う。

8時30分頃、K先生見参。昨夜、I先生が訪れたことを話すと、知らないようなので、白血球が増えていたことから詳しく説明。おかげで、ちょっと、腫れが引いたような気がする、と言って下腹部を見せた。K先生は触診して、「変わってないですね」と一言。そう言われれば確かに変わってないかも。

10時頃、K先生が再登場。朝一で採血した結果が出たということで、その報告。それによると、ヘモグロビンの値は変わっていないので、新たな出血はないとみていいということだ。

14時からのシャワーを終え、一段落した後、レッグタイプの尿袋を2人の看護師から密着指導を受けながら試着。カテーテルと管との間の装着、取り外しがけっこう指先に力を入れないとうまくできず、体勢的にも力を入れにくいので、苦労しそう。普通にネジ込み式のやつはないのだろうか。点滴ポンプのバッテリーといい、競争の少ない医療関連器具業界の甘さが気になる。

ただ、右足に尿袋を装着してみると、かなり軽快。これなら、なんでもできる、という気すら湧いてきた。

気になるのは、やはり右下腹部の腫れだ。帰宅してから痛みだしたらどうしよう。

不安いっぱいで退院の日を迎えることになる。

夜、消灯前にiPodをイヤホンで聞きながら寝込んでしまい、看護師さんに揺り起こされた。抗生物質を飲むようにということだ。あと、下剤はどうするか聞かれたので、断った。退院の帰宅途中で催してきてしまったらやっかいだからだ。

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争いはツマラナイカラヤメロという賢治の言葉いまかみしめつ    風越誠

 

6月23日(月)

まだ午前1時17分。いったん目が覚めたらなかなか寝付けない。そっと右下腹部に手をやると、少し腫れが引いてきた気がする。抗生物質が効いて炎症が治まってきたのだろうか。

6時、伊藤左千夫「野菊の墓」読了。確か中学2年の夏休みの課題図書として呼んだ作品だ。どんな感想文を書いたか覚えていないが、青空文庫で見つけて懐かしさのあまりついダウンロードしてしまった。当時、純粋に憧れた純愛悲恋物語。恋を恋する少年時代に戻り、最後のほうは涙が滂沱とあふれた。

7時過ぎ、採血。

8時過ぎ、朝の回診。I先生とK先生にお礼。

10時半、カミさんが来て、一緒に1階に行って退院会計を済まし、再び病棟に戻って、看護師さんらにお礼の挨拶。チーフのH看護師が近くに寄ってきて「お大事に」と見送ってくれる。

帰宅途中の駅で、何度か尿漏れパッドを取り換えたり、チンチンが痛くない位置へと整えたりしながらようやくの思いでわが家へ。

着替えして、遅い昼飯を食べるときに、カミさんに「いろいろとありがとうございました」と一言。カミさんも待ってましたという感じで「どういたしまして」と答えた。

実は、17年前、頸髄損傷で1カ月入院したときに、退院したその日に、「ありがとうの一言がない」とカミさんが怒りだし、数時間ほどのミニ家出をしたことがあったのだ。当時、病院からカミさんの運転する車で家に帰る間に、何度も「ありがとうございました」と言おうと思ったのだが、恥ずかしくて言えず仕舞だったのだ。

2014年7月 6日 (日)

入院日誌その12

田舎の兄夫婦と弟夫婦が突然、見舞いに来た。兄弟水入らずでしばし談笑。ありがたいことだ。2時間ほどいて、埼玉にいる兄の長女のところに行った。

カテーテルを抜いてから、微熱に悩まされていると医者の弟に言ったら、カテーテルを抜いた後に細菌が入るケースが多いので、そのせいだろうとのこと。病院で抗生物質をもらっておけばよかった。

午後、図書館まで散歩。もう七夕なんだ。

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☆入院日誌その12

6月19日(木)

朝2時に起きてトイレに行くが不発。昨夜の下剤はまだ効いてこないのか。

朝食前にK先生。お腹と、少々痛みがあると訴えた足をチェック。ワーファリン再開を確認。

朝食後、ワーファリン服用を再開。

8時ちょっと前に採血。

8時15分、便通あり。かなり硬めで、途中、息抜きを入れつつ、何とかだし切って、すっきり。

8時25分。朝の回診。いちばん若いK先生が先輩のF先生とM先生を従えての回診だ。I先生は不在。

10時、ハウスキーパーが掃除。この病院では、ベッドの下は掃除しない決まりになっているのだろうか。どのハウスキーパーも絶対にベッドの下を掃除しようとしない。入院以来、ずっとそうなので、ベッドの下にはホコリがたまっている。たまに錠剤を落として、ベッドの下に転がると、ホコリまみれのやつを拾うハメになる。

正午。ぶっかけうどん。

午後4時、風呂。会社の同僚と上司からメールあり。カテーテルをつけたままだが、6月23日(月)に退院し、2日間、自宅でリハビリに励み、26日(木)午後から出社する予定だと伝える。

尿袋を手に病棟の廊下を歩いた。廊下の端から端までで、ちょうど100歩強ほどになる。ケータイの歩数計を見ると3919歩になっていた。

病床でわが手や足をとく見つめ干からびた肌のしわ伸ばしてみる       風越誠

入院日誌その11

手術後8日目の6月12日(木)にカテーテルを抜いたときは、最初から多少なりとも尿意を催して、13日(金)未明から朝方にかけて自尿と漏れの量がぼ同程度になったのに、7月4日(金)にカテーテルを抜いてからはまったく尿意がなく、まさにダダ漏れ状態がきょうまで続いている。6月13日(金)の骨盤内出血で急きょカテーテルを入れ直してから3週間も入れたままだったので、膀胱の神経がマヒしてしまったようだ。これから、尿漏れとの途方もない闘いを強いられるのだろうか。1~2時間ごとに尿をたっぷり含んだパッドを取り換えるたびに、後始末のほうはカテーテルがついていたときのほうが楽だったなどと思ってしまう。

さて、入院日誌の続きである。

☆入院日誌その11

6月16日(月)

症状は昨日と変わらず。じっとしているぶんには痛みは感じないが、へその周りを押したり、起き上がるときなどお腹に力を入れたりすると痛む。

入院生活も楽しめるのはせいぜい2週間だな。2週間を過ぎると、退院のことばかり考えるようになる。飯も飽きたし…。

午前7時過ぎにK先生。8時30分頃、I先生とK先生。骨盤内出血というトラブル発生で、いったんはつながった膀胱と尿道の吻合部が切断されたのではないかと聞くと、I先生は「たしかに血尿が出ているのが気になります。もう一度、CT検査で確認しましょう」と話す。

帰りしなに「ご心配をおかけしました」とI先生。心配ではなく激痛なんだけど…。

会社に電話し、入院が長引くことを報告。上司は「まずは身体をしっかりと治して」と。

昼食はキャンセルし、売店の冷やし中華に。

午後5時頃、I先生回診。木曜日に膀胱造影で吻合部がくっついているか確認し、大丈夫ならカテーテルを抜去しようという。えっ、CT検査はやめたの? そんなに早くカテーテルが抜けるの? どうも言うことが定まらない。先生も動揺しているのかも。

午後7時20分頃、談話室でNHKニュースを見ていたら、I先生が来て話があるようなので、一緒に自室へ。先生が言うには、13日に尿道から大量に出血したことを考えると、吻合した場所がつながるには数週間かかる(!!!)とみられる。よって、心臓のほうも心配なので、抗凝固薬の服用再開を優先。仕事のこともあるので、来週月曜をめどに退院してもらうが、カテーテルはしばらくつけたままにしてもらう。慌ててカテーテルを抜去しても、うまくつながっていなかったらやっかいなことになる。これが現段階での検討結果だ。今後、方針が変わることもあるかもしれないが、そのときは改めて相談するとのことだった。

やっぱりなと思った。2時間ほど前には3日後にはカテーテルが抜けるようなことを言ったのに、今度はいきなり数週間後だ。会社に尿袋をぶらさげて通わなければならない。何も知識のない患者なら、ここで発狂するだろう。

だが、昨夜、医者の弟に今度はカテーテルが抜けるまで長期戦になることを示唆されていたので、I先生の話をさもありなんと聞くことができ、素直に「わかりました」と答えた。先生も拍子抜けしたことだろう。I先生は、泌尿器科の先輩医師らに諭されたのかもしれない。

今年は暑く長い夏になりそうだ。

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われよりも後から来たれり同病の患者が次々去りゆく日々よ      風越誠

6月17日(火)

7時前にK先生。今朝も早くからのお出ましだ。おらの腹を触る。へその下にまだらもように内出血の跡。。これは身体が骨盤内出血した血を吸収しているためだから、心配しなくていいとのこと。2日後からワーファリンの服用を再開するとも。

I先生も8時前に顔を見せる。「早いですね」と言うと、今朝は委員会がどうのこうのと。腹を触り、この色は血を吸収している色だから心配ないと、K先生と同じことを繰り返す。「まだ、ちょっと張っているなぁ。とにかく、安静が仕事ですからね」と言い残して去る。

9時前にK先生、M先生らが朝の回診。I先生がいないのは、きっと委員会とやらに出席しているのだろう。

昼飯は売店で買ったとろろぶっかけそば。1階の売店への行き帰りに足の衰えを思い知らされる。ヨボヨボとしか歩けないし、とくに右足が重い。

午後2時風呂。髪を乾かす間、ドライヤーを持つ手を上げ続けられなくて、途中で2回小休止。こんなことは初めてで、われながら愕然とする。

18時30分、I、K先生が夕方の回診。木曜日からのワーファリン服用再開を再確認する。

6月18日(水)

医者の朝は早い。6時過ぎにK先生。おらの尿管を見て、尿の中に薄皮のはがれたようなものが混ざっているのは、いい兆候なのだと言う。

しばらくして、I、K、M先生が揃って回診。昨日の治療方針を再確認。

弟から昨夜のうちにケータイメールが入っていたのに気付く。快方に向かっているか、何かあったら連絡をとある。ありがたいことだ。現在の状況を簡潔に書いて返信する。

昼飯は売店の稲荷(4個)とカミさんが昨夜持ってきてくれたお手製のサラダ。キャベツ、キュウリ、リンゴ、ハム、レーズンをマヨネーズで和える、わがおふくろ直伝の味だ。

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午後8時過ぎ、男性看護師のH氏が来て、退院後に使うカテーテルと尿袋について詳しく説明してくれた。カテーテルをつけたまま営業に飛び回っている人もいると知って、自分も頑張ってみようと前向きな気持ちになった。

これほどの試練与えし神様はロートル記者に何をか求めん      風越誠

2014年7月 3日 (木)

入院日誌その10

チンチンとカテーテルが擦れてチンチンの先が痛い(涙)。あと1日の我慢だ。

さて、入院日誌。

☆入院日誌その10

6月15日(日)

昨夜から続いていたハルトマンG3号の点滴が朝7時に終了。

病衣を浴衣タイプからパジャマタイプに変えた。なんか、動きやすくなった感じだ。

朝一でK先生が顔を出す。この人、いつ休んでいるのかなぁ。

トイレから出て、流しで手を洗っているとM先生も声をかけてくれた。どことなく、NHKドラマ「坂の上の雲」で秋山好古を演じた阿部寛に似ている。

ガラケーでW杯観戦。本田が先制点をあげるも、逆転負け。

午後12時40分、カミさん、長女、孫が来訪。長女と孫はこの後、上野から新幹線で福島に帰るのだそうだ。エレベーターまで送る。

S看護師が新しい看護目標を作成して持ってきたのでサイン。長期目標のところに「退院」とあったので、短期目標にしてくれと軽~い嫌味を一発かます。

夕飯はキャンセル。売店で冷やし中華を買って食べる。つくづく、病院食に飽きた。前の会社の社員食堂の味にそっくりでまずい。たぶん、会社の社員食堂と一緒で、どこかでまとめて作ったのを保温しながら運んでくるのだろう。だから、魚も肉も脂が落ちてパサパサだし、揚げ物はカチンカチンに固い。

夜、田舎で医者をやっている弟に電話し、トラブル発生を報告。弟は、あくまで“突発性”に過ぎない心房細動の患者に、術後にヘパリンを使ったことに驚いていた。ワーファリンを服用しながら、ヘパリンの投与量を0.8→1.0→1.1→1.2ng/hと3回にわたり上昇、最終的に5割も増やしたことについては、まったく理解できないと語った。

ヘパリンは心臓弁膜症の患者など、血液の抗凝固能(サラサラにする能力)を時間単位できめ細かく管理する必要のある患者に使用するもので、おらみたいな突発性心房細動の患者に使用することはない、少なくとも、弟の病院では使っていないという。専門化が進んだ大病院の弊害で、「泌尿器科の先生だから循環器系の薬のことはよく知らないのかも」とも。弟は首から下の手術はすべて手掛ける一般外科医なので、心臓病のことも常に研究しているという。

そこで、ずっと疑問に思っていたことを聞いた。手術部位から出血して血腫ができたわけだが、では、いったんはつながった膀胱と尿道の吻合部はどのような状態にあるかだ。弟は、「チンチンから大量の血が出たんだから、膀胱と尿道の間も切断されたと考えざるを得ない。快復までに時間がかかると思うが、気長に療養するしかない」という。やっぱり、そうかとがっくり。

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なんでまたこのおれだけがこんなめにあわなきゃならんのといじけたくなる   風越誠

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